「食育」を長野から世界へ発信。それをやり遂げるのが当社の夢。
株式会社ミールケア
代表取締役社長 関 幸博
1952年 長野県生まれ。神奈川大学卒業。
1974年 郵便局にて簡易保険営業に従事。
1990年 株式会社ミールケア創業。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
人に喜んでもらえることをやりたい。それを叶えるのが“食”だった。
ミールケアは長野市に本社があり、長野県内では医療・福祉・社員食堂の食事サービスを、全国では幼稚園・保育園の食事・食育サービスを、北から南まで約600園と何らかのお付き合いをいただいている給食会社です。私がミールケアを設立したのは1990年で、もう30年余りが経ちました。
実家は裕福ではなかったので、郵便局で郵便配達の仕事をしながら横浜の大学に通いました。卒業後は、転勤という形で長野に戻り、簡易保険の営業などをしていました。営業成績も良かったのですが、そうすると人というのは傲慢になるもので、私もその典型でしたね。そして、自分で気付くんです。「自分は浮いているな」と。
このままでは人間的にだめになると思って、人様に喜んでもらえること、社会に貢献できることをしようと、37歳の時に思い切って退職しました。ちょうど子どもが生まれたころで、親戚からは反対されましたが、止められるほど夢は追いかけたくなるものですね。
まず目標を立て、「社長になろう」と決めました。半年ほど広告デザイン会社で世の中を見つめるうちに、もともと料理が好きだったこともあり、持ち帰り弁当をやろうと思いつきました。フランチャイズ(FC)に入れば、商売も手っ取り早く教えてもらえるだろうと考えて、東京ビックサイトで行われていた展示会に行きました。
2日目の切羽詰まった終盤に、ようやく洋風弁当のお店と出会い、「これだ!」と思って、早速長野市内に店を出しました。公務員経験しかありませんので経営というものをまったく知らなかったわけですが、FCでノウハウを教えてもらえたことが大変勉強になり、お陰さまで繁盛しました。
FCの経営セミナーで初めて、「経営には理念が必要で、ビジョンを描いて従業員に伝えるのが社長の仕事」だと教えてもらい、そこで初めて経営理念というものが頭の中で整理できてきたのです。
ほぼ7年周期で事業を転換。3回のステップアップで今に至る。
繁盛していたものの、「人様に喜ばれる仕事になっているか」との葛藤はありましたね。弁当屋は日々の売り上げを作るのに必死で、その日の経営をこなすのが精一杯。次第に「これから先、何十年もこの状態でいいのかな」と思うようになりました。
さらに、お客さまから「雨が降ったら弁当を持ってこい、晴れたら今日はいらない」と言われたりして、社長として胸にくるものがありましたね。もっとお客さまに待ち望まれている仕事をやりたいと思うようになったんです。そして、次のステップに行こう、と決めました。
求められる弁当屋って何だろうと考えた結果、弁当屋の店舗を売って、仕出し弁当を始めました。注文を受けてオフィスや会合にお届けする、当時では珍しい、上質なワンランク上のものを手掛けました。
そして私自身が仕出し弁当を届けることで、病院や老人ホームの入院患者さんや利用者さんのお困りごとの相談を受けるようになったんですね。それが、今の給食会社に繋がる、食事であり「給食」でした。
やはり人様のためになろうと動いていると、みんなが助けてくれるんです。紆余曲折を経て、仕出し弁当から医療福祉給食へ転換すべくノウハウを身に付けながら、病院や老人ホームへの営業を開始し、2年後ようやく受託給食を始めることができました。
その病院給食の事業を始めると、すぐに老人ホームや障がい者施設からも次々と依頼がくるようになり、思い切って仕出し弁当店を売却し、給食事業に転換しました。
そして次に、幼稚園・保育園の食事に特化していこうと進めていきました。不思議なもので、良いと思うことを続けていると、評判をお客さまが伝えてくださるようになり、こちらも次々と紹介でお客さまが広がっていきました。
振り返ってみると、ほぼ7年ごとに業態を変えて、ここまでに3回ステップアップしてきました。タイミングといいますか、周期ってあるんだなと思いますね。
女性が8割の職場。みんなが働きやすい環境づくりに注力。
仕事をしてきて大切だと感じるのは、やっぱり人ですね。従業員とお客さまがいてくれて、初めて会社が成り立つのだなぁと思っています。当社の社員は女性が8割です。見ていると、女性のリーダーシップというのは、ものすごく人を惹き付けますね。それで、女性の幹部職を育て上げるように意識してきました。そして女性たちを守っていくことに注力しています。
子育てをしながら働いている社員も多いです。ある時、社員から「子育てに加えて親の介護も必要になって、この会社は好きで仕事を辞めたくないけれどフルタイムで働くのは大変でどうしよう」と相談されました。私は会社としてその社員を応援しよう、社長の私が先頭をきって彼女を守ろうと思ったんですね。
他の社員には「いま、彼女の家庭は大変だから、もちろん会社としてもフォローするので、時間通りに出社できない日があっても大目に見てあげて、サポートしてあげてくれと。逆にあなた方がそういう状況になったときも、必ずサポートする環境を作ります」と話しました。
ですから、社員の育児や介護など、家庭に関わる休みは優先させていますね。「大変なときは8時間労働しなくてもいい。将来を考えたら、この先嫌というほど働けるから」と言っています。その社員も恩を感じてくれて、現在もとても頑張ってくれています。
会社を共に支えてくれる幹部との出会いに「縁」を感じる。
会社が大きく、忙しくなるほどに感じたのは「お客さまが喜んでくれること」に対して、共通の認識を持った社員が欲しいということです。そのためには普段から寄り添って、仲間意識を育てることが大事だと思いましたし、やっぱり気持ちが大切なんだと思いながら歩んできました。
現副社長は、最初はミールケアに来た営業担当者でした。何度も訪ねてくる粘り強い人だなと思って、うちの会社に来るかと言ったら、本当に「入れてください」と会社を辞めてきたんです。実は、専務時代に一度降格となりましたが、辞めることなく、腐ることなく努力して成長してくれました。
もうひとり、印象的なのが専務。女性なのですが、一度は管理栄養士として入社試験に来たんです。でもその時は、あまりに饒舌で、うちに合わないと思って断ったんですね。
それから数年経って、また面接に来たんです。実は、私は忘れていて、いい人材だと思って採用をしました。それは、彼女自身が数年の間に成長していたからだと思いますし、本人にもそう伝えました。
いまは、この二人が副社長、専務というポジションにいてくれることで、とても仕事がやりやすいですし、縁だなと感じますね。
今後は、肝心なときに人生の先輩として助言やアドバイスをくれる、若い人にとってのお姉さん、お母さんのような存在の人に入社してほしいですね。
若い社員たちは無鉄砲に進んで、それも魅力なのですが、そこに良いアドバイスをくれる人がいると心強い。あとは、ここまで自分だけで成長してきたのではない、ということを分かっている人。周囲に感謝できる人を採用したいと思っています。
食育に対価を認めてもらえるようにしていくことが最終的な使命。
これからは給食屋ではない給食屋になりたいと思っています。いま、給食業界は人手不足で現場の従業員たちが苦しんでいる。経営者はそういうことをやっていてはいけないと思うんです。そこから脱皮して、次のステージにチェンジしていく。仕事を変えていくことが経営者の使命だと考えています。
2025年にはこうありたい、という姿は描けています。少ない人数でも楽しく売り上げが取れるようにしたいし、いま居る従業員を大切にして、みんなの生活レベルも豊かで幸せになるような会社組織にしていきたいと思っています。やはり、ひとつには自分たちで作って、自分たちで売って、お客さまに価値を感じてもらうということが大切。本当にお客さまが求めていることをやる、ということですね。
また、当社はずっと食育に取り組んできましたが、食育という言葉がポピュラーになり過ぎて、今はそれをお金に換えることをお客さまが納得しないと思うんです。いまさら食育にお金は払わないよ、と思われている。そこを、食育に対価を払うことを認めてもらうようにすることが、我々の最終的な使命だと感じています。栄養士や調理師の立場をレベルアップさせて、SDGsやDX化を通して、食育をこの長野から世界に発信していくようなことをやり遂げたい。それが私の今の夢です。
善きことを考え、善きことを実践し、善き会社をつくる。
いま始めているのが、スポーツ選手の日々の食事について、マンツーマンで献立・料理を請け負うことや、ジュニアのサッカーチームへの食事指導などです。社員もやりがいを感じていて、本人たちの成長にもなるし、会社の成長にもつながると感じています。
また、給食に関しても、委託から直営にしていこうと、当社のノウハウを保育園や幼稚園に教えるというコンサルタント的な動きも始まっています。裏に回ってサポートする立場から、私たちの次の仕事が見えてくると感じています。
ここまでさまざまなことがありましたが、あまり苦労とは思わないですね。経営が安定していることで、確信を持って進めているのだと思います。その代わり、この生きざまを世の中に還元する、社会貢献する、ということにも力を注いでいます。収益をパンに換えて、食べられない人に届けるということもやっています。
心にあるのは、「善きことを考え、善きことを実践し、善き会社をつくる」ということ。社員が見ていますから、私も善きことをしないといけない。
前に、同じ長野県の会社の伊那食品工業さんが、「車で会社の駐車場に右折で入ろうとすると渋滞になり、周りに迷惑をかけるから先まで行ってUターンしてくるんだ」と話してくれたんですよ。それを聞いて、なるほどと思って、うちの会社でも実践しています。
そうやっていると、人から嫌がられることをするのはやめよう、という当たり前なことをみんなが分かってくれるようになるんですね。スーパーに行ったらお年寄りが近くに停められるように、若い者は遠くに停めようとか、みんなが自然と気がついて真似をしていくのが良いと思います。そういったことも含め、社員たちが思いやりの心と愛社精神を持ってやってくれていることが、本当にありがたいです。