転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
藤野瑛太さん(仮名)は長野県出身のエンジニア。新卒で化学メーカーに就職し、38歳まで配属先の福島で生産技術の研究開発に従事していた。仕事にも不満はなく、「定年したら長野に帰ろう」と考えていたという。そんな藤野さんのプランが早まったきっかけは、両親の体調悪化だった。もともと病気がちだった母親に加え、元気だと思っていた父親、さらに妻の両親まで体調を崩してしまう。お互いの両親を見舞うために、頻繁に福島から長野へ通う日々を半年間続けたのちに、Uターンを決断。長野で全く違う仕事に就くことも覚悟していたが、自動車業界の最前線に携わる開発職と出会うことができた。「予想外に大きな会社と出会え、驚きました。私自身も今回の転職で成長できたと思います。両親も一緒に暮らせるようになったことで以前よりも元気になっています」と話す藤野さんにUターンの体験談を伺った。
長野の大自然に囲まれた製薬工場で働いている香原詩織さん(仮名)。出身地は東京だが、長野へ転職したきっかけは婚約。パートナーが長野の会社に転職することになり、自分も長野への移住を決めた。転職活動はパートナーの転職も手伝ったエンリージョンに相談し、引っ越して2か月目には今の会社で正社員として働き始めることができた。東京以外での生活は初めてで不安もあったが、「来てみれば意外と大丈夫。むしろ、こちらのほうが自分にあっているかも」と話すほど、長野の生活が気に入っているという。「転職して残業がなくなったのも嬉しいです。おかげで、晩ご飯を作って夫を迎える、という理想の生活ができています」と喜ぶ香原さんに体験談をうかがった。
高浜正弘さん(仮名)は新卒で就職後、ずっと同じ会社でシステムエンジニアとして働いていたが、勤務地は転々としていた。長野とアメリカ、東京を往復する生活。40代後半で、2度目の東京転勤を言い渡され、「このまま定年まで長野に戻れない」と悟った51歳の時に、長野へのUターンを思い立った。「51歳の自分を雇ってくれる会社があるのだろうか?」と不安を抱えながら転職活動を開始。しかし、東京・銀座Nagano(長野県のアンテナショップ)で開催された転職相談会への参加をきっかけに、現在の会社と出会う。「以前の職場は数万人規模の大企業。ワンフロアだけで1000人が働いていましたが、今は自分を含めて3人しかいません。年収も多少減りましたが、お金には代えられないものがここにはあります」と、高浜さんの表情はすこぶる明るい。長野へのUターン転職で手にした「お金よりも大事なもの」とは何だったのだろうか。
浅田正志さん(仮名)は、物流業界ひとすじのスペシャリスト。前職では世界的な規模を誇る大手物流企業の一員として、さまざまな海外アパレルブランドの物流システムの構築や改善を任されていた。しかし長野で1人暮らしをしている母親のため、さらには長野在住の女性との結婚のために、転職活動を開始。44歳で大手企業に見切りをつけ、長野にある食品商社へ転職した。生活の舞台は都会から地方へと変わり、会社の規模も格段に小さくなった。だが、本人は物足りなさを感じるどころか、充実感でいっぱいのようだ。「確かに刺激は少なくなったけれど、代わりに得たものは大きい」という浅田さんに詳しいお話をうかがってみた。
名のある企業で技術職を5年、商品企画職を10年。壁にぶつかることはありつつも、恵まれた環境で充実した仕事をしていた星野和博さん(仮名)にとって、転職、ましてや地方への移住などまったく縁のない話だった。妻からの「いずれ長野に帰りたい」という言葉を聞くまでは。しかし、「38歳で条件の良い転職ができるのか」と訝りながらも「試しに」と活動を始めるや、「ぜひに」と求めてくれる今の会社と出会い、トントン拍子に入社が決まる。欧州市場を相手に商品企画のキャリアを積んできた、その経験を高く評価され、未経験の営業職に採用されたのである。長野での暮らしは思っていた以上に心地よく、「転職のために犠牲にしたものは何もない」と言う星野さん。今、思い切って転職して良かったと心から思っている。