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白馬の子どもたちの未来を拓く、 地方不動産事業の強みと魅力。

さくら不動産株式会社
代表取締役社長 橋本 旅人

更新日:2023年9月06日

1978年 長野県生まれ。明海大学卒業。
2001年 保険代理店にて営業職として従事。
2002年 さくら不動産株式会社入社。
2007年 代表取締役社長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

白馬生まれの「どんぐり1号」として、28歳で社長に。

当社のルーツは約45年前、私の両親が白馬村で開いたペンションにあります。両親は共に県外出身者で、私がまだ母のお腹の中にいたころ、村内の別荘分譲地「どんぐり村地区」に移住してペンションを開業しました。私はそこで最初に生まれた子ども、つまり「どんぐり1号」だったんですね。

その後、両親は全国を回って行商をしていた知人からペンション売買へのニーズが高まっていることを聞き、ペンション専門の仲介業者として起業。1990年に、現在の「さくら不動産」に名称変更しました。

私は大学卒業後、就職氷河期の影響もあって24歳のときに生まれ故郷の白馬に戻ってきました。その後、保険代理店の営業職を経て、父からの声かけで実家の不動産仲介業を手伝うことに。当時は、あくまでも東京に戻るための一時的な資金稼ぎのつもりでした。

しかし、実際にやってみると、この商売の面白さにすっかりハマってしまったんですね。そこでこの地に腰を据えて働くことを決意しました。ときには両親がいきなり3ヵ月も海外に出かけてしまい、留守の間の業務をすべて任せられるといったスパルタ教育を受けながらも、着実に経験を積んでいきました。

そして28歳のとき、父から会社を譲り受けました。当時は経験不足ゆえにさまざまな失敗をしましたが、父はそんな私を何も言わずに見守っていてくれました。こうした父の姿勢は、今の私の中にもしっかりと根付いていると思います。

採用活動の失敗で痛感した、会社経営における「人」の重要さ。

人口が少なく、人間関係が濃密なこの白馬村で不動産業を経営していくためには、従業員の人柄が命綱となります。都会なら「誰から買っても一緒だ」となるかもしれません。しかし、もしもここでちょっとでも危なっかしい仕事をしようものなら、またたく間に村じゅうに噂が広がるでしょう。まさに人間関係で仕事が回るのです。

それだけに、人材の採用こそが会社経営の核となります。ところが、かつての私には人を見る目がまったくと言っていいほどありませんでした。そのため、採用活動において何度も失敗をしてしまったのです。今にして思うと、私がそれまで一緒に仕事をしていたのは、父と唯一の従業員Aさんだけでした。二人ともただ仕事ができるだけでなく、人格的にもとても優れていました。だから私は人としてそれが当たり前だと思っていたのです。

そのため、「人は働きやすい環境さえ整えれば、何も言わなくても会社のために献身的に働いてくれる」という性善説に基づいて判断していました。けれども、実際に集まった人の中には、私が描いていた人物像とは異なる人もいました。そうした手痛い失敗を経て、今ではようやく良い人材が来てくれるようになりました。人材の見極めの難しさを痛感させられた経験でしたが、やはり今でも採用は難しいと感じています。

地道な地域活動の積み重ねで、信頼を勝ち取る。

私たちの商売は、住民の皆さんが先祖代々受け継いでこられた「不動産」を扱うことです。だからこそ相手から信用、信頼され、「お前になら任せられる」と思っていただかなければなりません。

ですから、当社では社長の私を筆頭に、従業員が一丸となって地域活動に積極的に参加しています。具体的には、消防団や地域のお祭り、清掃活動などですね。つい先ほども、駅前の清掃活動をしてきました。こうした地道な草の根活動の積み重ねが、地域の皆さんに信頼していただくうえでは非常に重要です。日頃のコミュニケーションも欠かせませんね。

地域活動といえば、最近とても嬉しかったことがあります。それは、あるプロジェクトの住民説明会での出来事でした。 今まで新しい挑戦をする際は紆余曲折ありましたが、ある住民の方に「若い世代、旅人くんが恥をかかないような開発を皆さんでやってもらわないと困る」と言われ、今まで地道に地域活動をやってきたことは決して無駄ではなかったと感じました。

一方で、自分より若い人たちの活動を積極的に支援するようにもしています。ときには、若い人たちといっしょにお酒を飲みながら、「たとえ失敗してもいいから、どんどんやってみろよ」と発破を掛けています。

オールラウンダーとして、自分にしかできない仕事ができる。

都会の不動産会社では、例えばマンションだけとか、土地だけといった具合に、扱う商品がきっちりと決められていることが多いです。でも、私たちはそれらを一人ですべて扱うことができるんです。野球でいえばピッチャーからキャッチャー、外野から内野、さらには監督までやるようなものですね。

さまざまなフィールドで幅広い経験を積みながら、裁量のある仕事ができる。これは大きな魅力だと思います。さらに、その中で自分の得意ジャンルを見つけ出し、自分の唯一無二の武器としていくことができるのです。

また、ここにはどれ一つとして「誰がやっても同じ仕事」はありません。お客さまから直接「お前だからこそ、任せられる」と言っていただける。日々こうした出会いがあるのも、この仕事の魅力の一つです。

子どもたちがいつか白馬に戻ってこられる未来を、この手で切り拓きたい。

私がこの事業を継続していきたいと願うもっとも大きな理由の一つは、自分の子どもたちも含め、この白馬で生まれ育った子どもたちが、将来この地域に戻ってこられるような雇用環境をつくりあげたいからです。

もちろん、会社を経営するうえでは、目先の商売も大事です。しかしそれと同時に、会社の事業がもたらす中長期的な変化、つまりは20年後、30年後のビジョン、さらには地域のお子さんたちの将来をも見据えていくことが重要なんです。

かつての白馬村では、働ける場所が限られていました。そこで、私たちの手で白馬の経済を活性化させ、さらに白馬発で世界と商売ができるようにする。そうすれば、ワールドワイドに活躍したい人が白馬に移住してきたり、働く場所を選ばないIT企業などが拠点を築いたりしてくれるかもしれない。そうしたことが積み重なっていけば、将来、子どもたちが白馬で働くための選択肢も増えていくでしょう。

私は社長に就任して以来、これを一貫して言い続けてきました。すると地域の人たちも、次第に私たちを応援してくれるようになり、今では同じ志を持って歩んでくれるようになったのです。

2016年には、白馬初の高級コンドミニアム「マウンテンサイド」と、その経営・管理を行うThe Hakuba Company(ザハクバカンパニー)がさくら不動産の不動産管理部門としてオープンするなど、白馬はここ数年で国内外からの注目度がどんどん上がっています。白馬は、今後の変化の発信地になれると私は信じています。

そのためにも、こちらからいろいろ仕掛けをしながら、官民挙げて必死に前に進んでいく必要があります。私もこの土地で生まれ育ったものの一人として、今後さらに、民間と官公庁、あるいは若者と先輩たちの橋渡し役をしていきたいと願っています。

求めているのは「出川さん」!一緒に楽しく働きましょう!

当社が求めている人物像は、お笑いタレントの出川哲朗さんのような人です。物怖じせず相手の懐に飛び込んでいける高いコミュニケーション能力を持ち、そばにいるとこちらまで笑顔になるようなハッピーなオーラに溢れている人。それと、「これだけは人に負けない」という秀でた能力がある人も魅力的ですね。

先ほども言いましたが、この仕事は信用、信頼が命です。人柄が誠実で、言葉遣いにも細かい気配りができる人であってほしいですね。それらに加えて、常に指示をされなくても、自分で考えてどんどん実行していってくれる人が望ましいです。

ボトムアップで経営陣をガンガン突き上げながら、一緒に前に進んでいってくれる。さらに、いろんなリスクにも果敢にチャレンジし、ピンチすら楽しめる。そんな人たちと楽しく働きたいと願っています。

私は、仕事が楽しければ人生そのものが楽しくなると思っています。少しでもわが社の理念に共感していただけるようであれば、ぜひ私たちといっしょに白馬の未来を切り拓きながら、豊かな人生を送りましょう。

編集後記

コンサルタント
小澤 和明

私が橋本社長と初めて会った時の衝撃は今でも忘れません。初対面とは思えないほど、明るくフランクにお話をいただき、そしてそのウィットに富んだお話が面白いのなんの!今回インタビューで、その理由が分かったように思います。

本気で白馬の未来を考え、逆境に立ち向かい、常に前を向いてチャレンジし続けて来たその歴史は並大抵のものではありませんでした。だからこそ今では白馬を代表する企業へと成長を遂げ、さらに先を目指されているということに強い納得感を持てました。

今後さらに盛り上がっていく白馬エリアから、移住の多い安曇野でも存在感が増してきており、そしてゆくゆくは松本までも視野に入れているとのことで、益々のご活躍がとても楽しみです。

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