技術・情熱・信頼が原動力。創造力で切り拓く新たなステージ。
TPR株式会社
長野工場長 勝山 利広
長野県塩尻市生まれ。松本工業高校卒業。
1990年 TPR株式会社入社。
2023年 長野工場長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
長野から世界へ。TPRの根底にあるものづくりの哲学とは。
TPRは、自動車などの輸送機械・産業機械・発電用機械などで使われるエンジン・トランスミッションを支える部品を作る会社です。創業時は潤滑剤の販売から事業をスタートし、エンジン需要の高まりとともに機械の心臓部であるピストンリングの製造に尽力しました。
ピストンリングとは、ピストンとシリンダーの間に装着されるリングで、エンジンの稼働効率を向上させる部品です。そのピストンリングやシリンダライナといった自動車部品を扱うパワートレイン事業だけでなく、現在ではゴム・樹脂・ナノ素材を使用した製品づくりを進めるフロンティア事業など多様な事業に取り組んでいます。
また当社は海外12カ国に拠点を持ち、2011年にはグローバル企業として成長するため社名を「TPR」に改めました。「Technology:技術力」「Passion:情熱、とことん」「Reliance:信頼」の頭文字をとった社名には、「優れた技術力と情熱をもって価値ある商品の創造に挑戦し、お客さまの信頼に応えていく」という強い決意が込められています。
私がTPRに入社したのは1990年です。長野県塩尻市で育ち、地元の工業高校を卒業後に就職先を探していたところ、当社がエンジンに関わる部品を作っていると知り「面白そうな会社だ」と感じて入社を決めました。
入社3年目に思いがけず訪れた転機がキャリアを切り拓く鍵に。
私が当社に入社して最初に配属されたのは、長野工場内にあったピストンリングの製造設備を作る部署です。入社したばかりで組み立て図面の見方もわからない中、先輩社員に色々と教えてもらいながら機械の勉強をし、穴開けや組み立ての技術を身につけました。
この部署で2年間働いたあと、会社の「国内留学制度」を使って東京へ学びに行くことになりました。この制度は、現在は残念ながら廃止されていますが、高卒で入社した正社員を東京の夜間学校などに通わせ、スキルアップを促すというプログラムです。当時は高卒採用が主流で、専門知識の底上げや次世代を担う人材を育成するという観点から、毎年2人ほど東京へ学びに行っていました。
当時の上司に「機械の勉強をしたい」と希望を出したところ、「昼間の学校に行ってみないか」と勧められました。ぜひ行きたいと立候補して詳しい話を聞いてみると、大学で鋳造の研究ができるということでした。
そこから私の人生がガラッと変わり、鋳造の道へ進むことになります。他の同僚は昼間に会社で働き、夜は夜間学校に通う中で、私だけ早稲田大学の鋳物の研究所で学ぶことになったのです。
現場から学びの場へ。国内留学によって得たスキルと自信。
早稲田大学の研究所では、大学生や院生に混ざって研究を行いました。当時私がお世話になった先生は鋳物分野では広く知られる存在で、素晴らしい先生に指導していただいたことは貴重な経験だったと思います。
間違いなく人生の大きな転換点でしたし、自ら行きたいと手を挙げたことで「自分にもこんなことができるんだ」と自信につながりました。研究所では2年間学び、卒業するときは鋳造の材質に関する論文を書いて学会で発表しました。
入社5年目に長野に戻り、鋳造の生産技術の仕事に携わりました。当時は材質に関して当社が大きな課題を抱えていた時期で、研究所で学んだ内容を活かして上司とともに解決に力を注ぎ、今も当社で使われる鋳造の材質の生産技術を作り上げました。そこから本格的に、鋳造の製造現場や生産技術に関わるキャリアを歩むこととなります。
10年ほど現場の仕事を経験したあと、36歳で管理職の試験を受けて登用されました。初めて部下を持つことになり、いろいろと悩むことも多かったのですが、当時の上司に言われた「相手を好きにならなければ人の上には立てないよ」という言葉が今も強く心に残っています。
相手が何を考えているのか、どういう人なのかを深く知らなければ、いくら指示を出しても理解してもらえない。また管理職では人事異動に携わる場面も増えますが、それぞれの社員の良さがわからなければ異動先で活躍できるかどうかも判断できません。上司が言った「何でもいいから相手の好きなところを見つけなさい」という言葉は、今でも大切にして日頃から実践するよう心がけています。
「やってみたい」を声に出せば、新たな挑戦と成長が待っている。
私自身のキャリアを振り返ると、「やってみたい」と思ったことを発信して実践の場を与えてもらったことで、大きなやりがいと成長の機会を得られたと感じています。その経験をもとに、現在は部下たちにとって「やりたいことができる風土づくり」に取り組んでいます。
実際、私が生産技術のグループマネージャーを務めていたとき、現場の鋳造の仕事を任せた部下がいました。彼はもともと「こんなことをしてみたい」と声に出せる人材でしたが、現場のメンバーともうまく関係性を作りながら実績を上げ、みるみる成長していきました。今でも現場を率いる中心的な存在として活躍を続けています。
当社が一緒に働きたいのは、そんな主体性と協調性のある人です。挑戦したいことを積極的に声に出してもらえれば、それをできる限り拾って実現に向かわせる風土があります。協調性という面では、他部署との連携もかなり重要になります。自分の担当業務以外にも広く目を配り、気づきや学びを得られる人もぜひ仲間になっていただきたいです。
そして、これからの時代は創造力も必要です。当社は創業から85周年を迎えましたが、85年間も同じピストンリングを作り続けている会社は、日本国内を探しても多くないと思います。今後は成熟した技術からさらに一歩踏み出し、新しい事業をスタートするなど未知の世界に飛び込む必要もあるため、創造力のある方が来てくれると嬉しいですね。
100年先の未来を描き、今を生きる。TPRの飽くなき探究。
当社の主力製品であるピストンリングは、主に自動車のエンジンで使われています。シンプルな金属の輪っかにも見えますが、実は非常に精巧なつくりをしており、ミクロンオーダーで精度管理をしています。
ほんの少しでも幅や厚さ、その他の寸法が変わるだけで、エンジンの出力やオイルの消費量が大きく変わる部品です。特殊な表面処理を施し、非常に硬い被膜を付けることで摩耗を防げるのですが、現在はこの表面処理を他の分野にも応用できないかと試行錯誤を続けています。
他にも大学などと協働した介護ロボットの開発や、中国の拠点ではEV関連製品も研究・開発を続けています。これらの新事業はやみくもにやっているわけではなく、当社独自の「未来年表」で「50年先、100年先の未来はどうなっているんだろう」と予測し、今やるべき具体的なアクションにまで落とし込んだ取り組みの一貫です。
この取り組みを始めた当初は、一部の社員から「なぜロボット開発をするんだろう」といった声が上がっていました。しかし今では経営層からの発信を通して、取り組みの背景や未来像への理解が少しずつ進んでいます。経営層の考えを伝えつつ社員の声を拾う場として、当社では年2回、会長・社長・役員が社員と対話する「タウンホールミーティング」を開催しています。
経営者が思い描く会社の姿を直接聞いたり、社員それぞれが自分の意見をぶつけたりできる場で、すべての社員が参加します。10数人を1グループにして話しやすい雰囲気づくりを重視しており、東京にある本社と長野工場の心理的距離を近づけ、社員のエンゲージメント向上に役立っています。
多様な人材とともに挑戦を続け、一緒に明日を創りたい。
現在、エンジンなどの内燃機関は幅広い市場で使われており、ピストンリングをはじめとする部品の需要も右肩上がりです。しかし、いつかはピークアウトしてEVやハイブリッドなどが主流になる時代もやって来るでしょう。そのときに慌てないよう、利益を新事業や研究・開発分野に回し、好調なうちに新しい事業の柱を作る「多角化経営」へと徐々にシフトしています。
長野工場としての生産性アップはもちろん、次の一手を見据えた投資や多品種小ロット生産への対応などを直近の課題として取り組んでいます。その過程において、今まで当社にはなかったノウハウや考え方を持った人材の採用も欠かせません。新しい風が吹き、会社全体が良い方向へ変化するような人材採用を実現したいですね。
当社には新しい事業も含めてチャレンジできる風土があり、経営層へ意見が届く風通しの良さもあります。また海外拠点は37ヶ所、世界12ヶ国にグループ会社56社を有し、世界で活躍できるフィールドが整っています。
世界中から求められる製品を生み出したい方、当社の仕事内容や社風に共感する方は、ぜひ仲間になって一緒に会社を大きくしていけると嬉しいです。