転職成功者インタビュー

郵船ロジスティクス信州株式会社
木下雄二さん(仮名・営業) 30歳

「業種」より「社風」「会社の方針」を重視したことが成功の鍵!

長野県で国際物流に携わっている木下雄二さん(仮名)は、今回2度目の転職を経験したリージョナルヒーローである。1度目の転職は、東京の印刷会社から、東北の医療機器メーカーへ。業界の将来性に魅力を感じて転職したが、半年で退社することになった。理由は、ご自身が大切にしている営業へのスタンスがその会社の社風や方針と異なっていたことだった。そんな中、地元・長野で始めた2度目の転職活動は、業種も職種も絞らなかった。ただ唯一重視したのは、経営者や社員の人柄とその企業が大切にしている考え方。その結果選んだのが、「日本郵船」を母体に持つ今の会社。大手の安定性と地方企業のアットホームさを兼ね備えた社風が魅力だったという。「給料は前のほうがよかったけれど、転職してよかったです。ここはいい人ばかり。ストレスがなくなったせいか、少し太ってしまいました(笑)」と話す笑顔が、今回の成功を物語っている。(※本記事の内容は、2015年5月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
2回
活動期間
エントリーから内定まで41日間

転職前

業種
医療機器製造・販売
職種
営業
業務内容
医療機器の営業職。病院やクリニックへの飛び込み訪問をし新規開拓をしたり、また既存取引先への深耕営業や装置点検、トラブル対応を担っていました。

転職後

業種
国際運送業
職種
営業
業務内容
長野県内と海外を繋ぐ、輸出入通関サービスの営業職。例えば、県内の製造メーカーの商品を海外に輸出する際に、コスト、安全性、効率、国際情勢等を踏まえてどのような手段で輸送するのかを提案し、手配する仕事です。

業種で選ぶのではなく、自分が何を大切にしたいかと向き合った

現在のお仕事はどんな内容ですか?

国際流通を専門に行っている物流会社で働いています。簡単にいうと、企業が海外に輸出入をする際の諸手続きをサポートする会社です。母体は「日本郵船」。全国にグループ会社が複数社あり、「郵船ロジスティクス信州」は長野と山梨を担当しています。私は営業として採用されましたが、今はまだ研修の一環として、実際の手配を行う業務部門の仕事を学んでいるところです。具体的には、お客様から「○○を△△へ輸出したい」という依頼を受け、集荷のスケジューリングや、税関手続きの代行、航空便の手配などを行い、輸出先にある海外法人へ引き継ぐまでをサポートしています。

入社前のご経歴を教えてください。

新卒で就職したのは、東京にある印刷会社です。そこで印刷物の営業を7年間経験しました。その後、医療機器メーカーへ転職。東北にある営業所で半年間、営業として働いた後、今の会社に2度目の転職をしました。

転職のきっかけは?

1社目を辞めるきっかけは、将来への不安でした。その企業では価格競争が続いて仕事が減少しており、年齢も30近くになっていたので思い切って転職を決意しました。そこで、「医療業界だったらこれから注目されていくに違いない」と考えて選んだのが次の会社です。でも、半年ほどで辞めてしまいました。理由としては、企業のスタンスや社風と自分の価値観との相違です。営業1人が担当するエリアが非常に広いせいか、社員同士が互いに相談したり切磋琢磨することが難しい環境でした。また、お客様との関係についても、とにかく売上だけが求められ、信頼関係を築き誠実にお客様と向き合いたいと考えている自分のスタンスとは正直相違を感じました。入社する前にその部分を確認せず、単純に業界だけで選んだことを今となっては反省しています。私としても腹を括って、縁もゆかりもなかった東北に引っ越したので、すぐに辞めることへは抵抗もありましたが、半年経った頃に「やはりだめだ」と思い、辞表を提出。すぐに実家のある長野へ引っ越し、転職活動を始めました。

転職活動はどのように進めましたか?

まずはハローワークで探しました。それから大手の転職紹介サイトに登録し、長野県内の求人を探しました。当時は希望を決めず、あちこちの会社にどんどん応募しました。地方は求人の絶対数が少ないので、業種や職種を絞ってしまうと求人がないのでは?と不安でした。

全部で何社応募したのですか?

ほぼ毎日1社面接していたので、20社くらいは応募したのではないでしょうか?そのうちの2社がリージョナルキャリア長野から紹介された求人でした。

今の会社に決めたポイントは?

一番は面接でお会いした皆さんの人柄ですね。社長と営業所長、営業の方にも何人か会いましたが、大らかな方ばかりでした。また、「じっくり教えて、育てていく」という考え方も安心できましたし、会社の営業に対する誠実なスタンスにも共感できました。また会社の母体がしっかりしている点もポイントではありました。母体や福利厚生はしっかりしている一方で、社員同士のつながりも強い。そんな両面性に魅力を感じました。

人間関係がいいと、忙しくてもギスギスしない。無口な父も大喜び。

転職していかがでしたか?

よかったですね。初めての仕事はもちろん難しいです。1年経ってもまだわからないこともあります。海外とのやりとりも初めてでした。翻訳ソフトを使って英文を作り、メールを送っています。国が変わればルールや国民性も変わるし、返事が遅くて困る国もあります。そうした国が相手の場合は、こちらからどんどん催促しなくてはいけません。そんなことも含めて、まだ勉強中。でも、隣にはベテランの方もいらっしゃるので、わからないことがあったらすぐに聞くことができます。ルールが変わったときなども業務部門全員で情報を共有しながらやっているので、仕事はやりやすい環境ですね。

生活面での変化はいかがですか?

かなり早く帰れるようになりました。1社目は日付が変わる頃に帰宅するのが普通。2社目も残業が多く、帰宅が22時、23時になるのは当たり前でした。買ってきた弁当を食べて寝るだけの生活でした。でも今の会社に転職してからは、19時には実家へ帰ることができます。休日の過ごし方も変わりました。2社目の東北時代は友達もいないのでとても寂しい日々でした。テレビやDVDを見て過ごしていた時期もあったほど。でも今はほとんど、趣味の釣りに行きます。車を買ったので、渓流や湖・ダムなど、週末はあちこちへ出かけています。

困っていることや課題はありますか?

最初は伊那にある実家から岡谷まで通っていましたが少し遠いので、会社に近い塩尻へ引っ越しました。岡谷ではなく、塩尻に住むことにしたのは、塩尻の方が少しだけ都会だから(笑)。実家から会社までは車で約1時間。でも東京での通勤時間のことを考えたら、許容範囲だなと最初は考えていました。ところが雪の季節になると、さらに時間がかかることに気づきました。道路が凍結していたために、1度、遅刻したこともありました。そのため引っ越しを決意しました。また、久しぶりに帰ってきてみると、知っている人が意外と少ないものですね。大学時代から地元には全然帰れていなかったので、中学の頃の友人など、連絡先を知らないこともありました。あとは仕事のストレスがなくなったからか、少し太りましたね。スーツが何着か着られなくなりました(笑)。

転職してよかったと思うことは?

何よりも人間関係です。いい人ばかりで仕事が進めやすいですし、楽しいです。仕事で大変なことがあっても、社内の雰囲気がいいと、ギスギスすることがありません。それに地元はとても過ごしやすいです。両親や親戚もいるので1人暮らしをしていてもさみしくありません。両親も相当嬉しかったようです。人づてに父親が「息子が今度帰ってくるんだ」と嬉しそうに話していたことを聞きました(笑)。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

東京にいた頃は、「長野に仕事は無いのでは?」と思っていましたが、実際に転職活動をしてみて、あるところにはあるということがわかりました。ほとんどの人が最初は大手の転職紹介サイトを利用すると思います。でも大手転職サイトの求人は都市部に集中し、例えば「長野」で検索すると、ガクッと減ってしまいます。ヒットしても、その多くは全国企業の支店の募集など。地元企業の求人があっても、専門知識や資格が必要なものばかり…。これは自分で探すしかないと思って探しているうちに、リージョナルキャリア長野を見つけました。つまり、大手転職紹介サイトで探して見つからなくても、そこであきらめないでほしいということ。また、転職先を探すにあたって、人間関係や働きやすさといった点はとても大切だと、私は思います。自分の優先順位をはっきりさせたうえで、面接などで十分にチェックすることをおすすめします。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
渡邉 美和

印刷会社と医療機器の営業をご経験されていた木下さん。長野でも営業職で求職をされていましたが、どのような業界に行けばいいのか迷われていらっしゃいました。そんな中、木下さんの「目の前の利益ではなく信頼を得て結果を出していく」という営業スタンスと、同業界での経験よりも誠実な営業スタンスを重視している郵船ロジスティクス信州様にマッチすると感じ、さらに木下さんがのびのびと仕事が出来そうな社風であるということから、ご紹介致しました。業界から選ぶのではなく、ご自身の大切にしているスタンスと企業様が重視している考え方、そして社風のマッチからの転職でした。結果、ご入社後も仕事でのご活躍はもちろん、プライベートでも会社の皆様と充実した日々を送られていると伺い、非常に私も嬉しく思っております。

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