転職成功者インタビュー

有限会社ニシキ精機
野中周作さん(仮名・エンジニア) 39歳

管理職より「ものづくり」。安定を捨て新天地に選んだのは、小さくてもキラリと光る長野の会社。

野中周作さん(仮名)は39歳にして2度目の転職を決意した。ものづくりがしたくて会社を選んだはずが、社歴が長くなるにつれて管理業務が増え、製造現場から遠ざかっていくこと、そして慢性的な長時間勤務にストレスが溜まっていたという。

ふとしたきっかけで頻繁に訪れるようになった長野県で新しい仕事を探す転職活動には不安もあったが、経験を活かし、ものづくり技術を伸ばせる会社とマッチング。

野中さんは現在、長野の冬の寒さに戸惑いながらも、「ものづくりの面白さは前職とは比べものにならない」と断言できる会社で、充実した日々を送る。

(※本記事の内容は、2016年12月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
2回
活動期間
エントリーから内定まで66日間

転職前

業種
自動車精密部品加工
職種
加工オペレーター
業務内容
加工部にて、NC旋盤、卓上型旋盤、ボール盤を使用し小ロット品を生産。

転職後

業種
精密部品加工
職種
NC旋盤オペレーター
業務内容
カメラやプリンタ、医療器具、ATMなどに使われる2mm〜20mmほどの金属部品の切削加工に従事。

ものづくりに戻りたい。長野に住みたい。小さな組織で働きたい。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

長野県岡谷市に本社を置く精密部品の製造・加工メーカーで、NC旋盤のオペレーターとして働いています。扱っているのはカメラやプリンタ、医療器具、ATMなどに使われる2mm〜20mmほどの金属部品。鉄やステンレスやアルミの素材を専用の機械と刃物を使って形にする仕事です。

具体的には、図面を見て機械にプログラムをインプットするという作業ですが、設定まではある程度簡単にできるようになっても、機械の癖を把握してバランスを調整するのが難しい。0.01mm、0.001mmの差が許されない職人技の世界なので、実際に作ってみると図面通りのものはなかなかできません。それを1,000個単位で同じ寸法のものを作るとなるとさらに難しくなります。

入社前のご経歴を教えてください。

出身は三重県で、名古屋の大学の経済学部に通っていました。その頃からなんとなく「ものづくり」に関わりたいという思いはあったのですが、就職氷河期の当時、大卒文系にその選択肢はなく、新卒で就職したのは三重県の自動車関連の会社でした。自動車修理工場や自動車ディーラーなどの顧客に自動車部品を納品する、ルートセールスの仕事です。

そこで3年弱勤めましたが、「やはりものを作る仕事がしたい」と思い、三重県内の自動車精密部品加工メーカーに転職。NC旋盤を使って自動車部品を作っていました。東海地方は自動車産業が盛んなので、自動車部品メーカーならある程度安定もしているだろうという考えもありました。

今回の転職のきっかけは?

前職の会社は社員300名ほど、海外にも工場を展開する中堅規模の会社でした。そこを辞めて転職しようと思ったのは39歳の時。入社7年目で役職がついてから、製造に携わるよりも人の管理や生産性向上に関わる管理の仕事が主体になって、ものを作る仕事ができなくなってきたのです。

そんなストレスが溜まってくるなか、3年ほど前でしょうか、友人が松本で開いた写真展をふらりと見に行ったことをきっかけに、松本を訪れることが増えました。それから長野市にも行くようになり、知り合いもでき、連休のたびに訪れるように。

そして徐々に「長野で転職できないだろうか」という気持ちを持つようになり、去年のゴールデンウィークに「もう仕事を辞めよう!」と決意。休み明けに上司に伝えたのですが簡単には了承してもらえず、1カ月かけて、いかに長野が良い所かを説明しました。

最終的には「そんなにいいなら行って来い。いつでも戻って来いよ」という言葉をもらい、円満退社しました。

転職活動はどのように進めましたか?

会社を辞めようと決心する3か月ほど前に、東京の銀座NAGANOの就職相談コーナーで、ハローワークの職員の方に話をしたことがありました。「そんな夢みたいな動機で転職しても大変ですよ」と言われてしまったのですが、その時にもらったのがリージョナルキャリア長野のチラシ。転職支援会社というものがあることを初めて知りました。

それから退社の意思を固めて、はじめは長野のハローワークで求人を探したのですが、四日市から応募しても、不審がられて書類で落ちる。「なぜ三重から長野に来るのか。何かトラブルがあって三重にいられなくなったのではないか」「来てもすぐ帰るのではないか」と思われるのだとハローワークで言われました。

そこで、リージョナルキャリア長野ならU・Iターン転職に強いし、コンサルタントがついてくれるので、希望に合った会社を探してくれるのではないかと思って登録したのですが、これがいい出会いでした。

リージョナルキャリア長野のコンサルタントと初めて話をしたのが8月頃。長野でものづくりをしたいという話をしたところ、僕のキャラクターを理解してくれて、何社か紹介してもらいました。その中に、仕事内容が自分に合っていると思った今の会社があり、話を進めてほしいとお願いしました。

今の会社に決めた理由は?

社長が前向きなパワーのある方で、「会社がこれからいい方向に向かうために、いい人材が欲しい」という話を聞き、良い印象を持ちました。また、従業員十数名の小さな会社だったのも選んだ理由の一つです。もう大きな組織で働くのが嫌で(笑)。次は絶対に、一から十まで自分がやらなければいけないような小さい会社で働こうと思っていたのです。

これまでそれなりの組織で、それなりの立場にいましたから、その経験を活かしてほしいと社長からも言われました。ものづくりのことは社長にかないませんが、仕事の進め方や人の扱い方、ISOや教育などの知識や経験なら、自分はいろいろ持っている。その自分の知識や経験を使って、会社を良くすることができればと思っています。

残業半減、給与上昇。でも一番の収穫はものづくりの充実感。

転職してからの1年を振り返って。

仕事は面白いですね。ゼロから形になるまでの工程を自分で手がけるので、作っているという実感があります。感覚的なものを養わないといいものが作れないので、その辺が成長してくるとさらに面白くなると思います。

前の会社で求められていたのは、いかに量産を達成するか。段取りはあらかじめすべて組んであり、目標の生産数に向かって同じものを作り続けるわけです。だから技術的なものはあまり身につかないし、自分で何かを作っているという充実感もあまりなかった。

今のものづくりに求められているのは質です。1個2個のオーダーに応えることもある。NC旋盤のオペレーション自体は長くやっていたので、今度の仕事でもすぐに慣れるかなと思っていたのですが、最初は全然できませんでした。

生活面での変化はありましたか?

仕事には慣れましたが、長野の寒さには慣れていないですね(笑)。三重では真冬でも氷点下二桁の日が続くなんてあり得ませんから。結露した窓が凍って開かなかったのは衝撃的でした。灯油缶をベランダに置いてあったのに、給油しようとしたら窓が開かない。お湯をかけたらその瞬間に凍ってしまい、後で地元の人から「それは余計にやっちゃダメだよ」と笑われました。冬が来るのが怖い(笑)。本当にそれだけなんですよね。

変化と言えば、健康になりました。残業時間は前の会社に比べると半分以下。時間がありすぎて何をしようかなと思うくらいです。長野県は、山が好きで移住してくる人がけっこうたくさんいるのですが、知り合いにも山登りをしている人が多いので、僕もやってみたいと思っています。

転職前の経験を今の会社でどう活かしたいですか?

今の会社は小規模なせいか決まりごとが曖昧で、習慣や感覚で動いている部分が気になることもあります。それがいい方に出ることもありますが、悪い面が出てしまうこともある。ある程度共通のルールがあった方が、みんながそれに従って動けるので、簡単なミスを減らせるのではないかと感じています。

そうしたルール作りなどはやっていきたいですし、ここまでの1年でも、自分の経験を活かしてこれまで会社になかったものをもたらせたかなという手応えもあります。ただ、自分としてはもっと現場の仕事を覚えたいのですが(笑)。

転職して良かったと思うことは?

ものづくりに携われることが一番良かったことではないでしょうか。前職では、ものを作れなくても管理能力さえあればなんとかなった。機械の操作さえ覚えてしまえば、機械が勝手に作ってくれました。

今の仕事で得られる「ものを作っている」という実感は、前職とは比べものになりません。プラスαとして、気に入った土地である長野に来られたこと。それに、実は給与も上がりました。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

自分のやりたいことを明確にした前向きな転職をするべき、ということでしょうか。会社が大きくても小さくてもよく似たことは起こるので、「やりたいことをやろう」と思って転職先を選ばなければならない思います。仕事が嫌だとか、安定や給料で選ぶと、転職しても同じような不満がまた生まれると思うのです。やりたいことができるのなら、少々ネガティブなことがあっても充実感があります。

また、前職を円満退社することも大切だと思います。私は39歳での転職活動でしたので、本当に働きたい会社が見つかるのか、ものすごく不安でした。だから前の会社から「いつでも戻って来い」と言ってもらえたことは、非常に心強かった。見知らぬ土地への転職の場合、どうなるかわかりませんから。とはいえ、もう戻るつもりはありませんが(笑)。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
渡邉 美和

野中さんは三重県からのIターンでしたが、長野への想いが非常に強く、その想いを聞いた際に「何とかしてこの方の想いを叶えたい」と思ったことを覚えています。

何度も長野に足を運び、すでに県内で何人も友人を作り、長野での暮らしをリアルにイメージされていたことも野中さんの移住が成功したひとつの要因だと思います。

また、仕事に関しては、「大きな会社で働くよりも、社長の考えや方針に共感できるところで働きたい」ということでしたので、日頃から熱い想いを持って経営をされているニシキ精機社を紹介させていただきました。

入社から1年経ちましたが、社長からは「会社の中核人材として期待している」と聞いており、今後の野中さんのご活躍がとても楽しみです。

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