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長野から日本に。スキー場再生で切り拓く「グリーンカラー」の新たな価値。
日本スキー場開発株式会社
代表取締役社長 鈴木 周平
東京都生まれ。
2000年 有限責任監査法人トーマツ入所。
2006年 日本駐車場開発株式会社入社。
2012年 日本スキー場開発株式会社 代表取締役社長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
軽井沢での原体験とゴルフ場再生で学んだ企業再生の本質。
私は東京の中野区に生まれ、ずっと東京で育ってきました。そんな私にとっての他県との最も身近な出会いは、毎年夏になると家族で訪れていた軽井沢でした。
そこで過ごした時間は私にとって非常に貴重なもので、昔から長野には深い縁を感じていました。それが後の人生に大きな影響を与えることになります。
大学卒業後、最初に就職したのはトーマツという監査法人でした。さまざまな企業の経営者と接することができる上場支援コンサルティング部門に配属されて経験を重ねていましたが、キャリアの大きな転機となったのは外資系大手ファンドによるM&Aプロジェクトでした。
そこで私は、日本のゴルフ場を次々とM&Aで取得して再生していく仕事に携わり、20代にして修羅場のような日々を過ごしました。
わずか数年で約100カ所まで一気にゴルフ場を増やし、さらに会社が東証一部(当時)へと上場していくプロセスにも立ち会うことができました。
この過程でさまざまなことを経験しました。M&Aで取得された会社には優秀な社員が多くいましたが、経営の問題で苦境に陥り、結果として外資企業に買収されてしまう現実を目の当たりにしました。
この体験こそが、私に「真の意味での企業再生とは何か」を深く考えさせるきっかけとなったのです。
財務から事業への転身。震災を機に見出した地方再生の新たな道。

29歳で日本スキー場開発の親会社である日本駐車場開発に移り、最初の5年間はCFOとして会社の財務、予算管理や人事制度など基盤整備に取り組みました。
しかし、徐々に収益を伸ばしていく役割にも関心を持つようになり、また、再生事業というフィールドで経営に関わりたいという想いが芽生えてスキー場事業への挑戦を決意します。
ゴルフ場時代の経験を活かし、現地の人たちが自らの力でスキー場を再生できる、真の再生を実現したいと考えていました。
そして2011年3月1日、川場スキー場の社長に就任したものの、東日本大震災が発生。ガソリンも手に入らず、その冬はシーズンの営業をクローズすることになりましたが、この困難こそが新たな可能性を見出すきっかけとなりました。
川場村には人気の道の駅があり、当時既に年間100万人のお客さまが訪れていました。私たちもそこでおにぎり屋を運営していたのですが、売り上げは年間数百万円という規模でした。
村の方々は素晴らしいお米を作る熱意と技術を持っていますが、販売手法については工夫の余地があると感じました。そこで、おにぎり事業の強化や、立体駐車場でサバイバルゲームの展開など、さまざまなトライアンドエラーを重ねました。
このように冬だけでなく、グリーンシーズン(春から秋の雪のない時期)も事業化し、通年で働ける場所を作れば、若い人たちが地方に住みながらも安定的に働ける世界を作れると考えたのです。
業界初の上場と暖冬経験が教えたグリーンシーズン事業の重要性。
こうした取り組みを進める中で、頭に常にあったのが幼少期から親しんできた軽井沢の存在でした。軽井沢は自然に囲まれたリゾートでありつつも、美味しいものや美術館、ショッピングなども高いレベルで楽しめる、ある意味では都会以上に魅力のある「イケてる田舎」だと私は考えています。
スキーをまったくしない人でも、夏のバカンスを楽しんだり、冬も美しい景色の中でコーヒーを飲んだり温泉に入ったりといった非日常体験ができる場所。そんな魅力的なリゾート地をスキー場エリアでも作ることができれば、もっと地域を活性化できると考えました。
その後、2012年に日本スキー場開発全体の社長に就任し、現在では8つのスキー場を運営しています。これらのスキー場は日本各地に散らばらず、本州の中央に集約されていますが、そういった意味でもこの地域との縁を強く感じています。
上場を果たした2015年には、業界初のスキー場専門上場会社として大きな注目を集めました。上場パーティーには業界の方々200名ほどが集まってくださり、本当に嬉しそうな顔をしてくれました。それがとても嬉しく、より一層真摯に取り組んでいかねばと思いました。
その翌年に40年で一番の暖冬に見舞われ、大きなダメージを受けましたが、その痛感こそが、「グリーンシーズンを事業の柱に据える」という私たちの戦略的決意を揺るぎない使命へと昇華させることとなったのです。
AI時代に価値が高まる「グリーンカラー」という新しい働き方。

これからの時代、AIの性能が急速に向上し、ホワイトカラーの仕事は確実に置き換わっていくでしょう。
私も監査法人出身なので実感していますが、データ分析や書類作成、ルーチンワークといった事務作業は、まさにAIが最も得意とする領域です。
一方で、体を使って何かを生み出す仕事や、人と人との心の通った関わりは、まだまだ人間にしかできません。
農業や機械整備、ゲレンデ整備、そしてお客さまと直接向き合うコミュニケーションなど、人の手と心が必要な仕事がそれに当たります。
そこで私が提唱したいのが「グリーンカラー」という概念です。ホワイトカラーでもブルーカラーでもなく、自然と共に働く人たちのことを指します。
グリーンカラーの仕事はAIやテクノロジーを駆使しながらも、お客さまを安全に楽しませ、自然をうまく活用した施設を作り、地域の文化や伝統を活かしたサービスを提供します。
こうした仕事は、これから大きく価値が高まっていく人間にしかできない素晴らしい仕事になるはずです。
既に世界中でブルーカラーとホワイトカラーの価値が逆転する現象が起き始めているのではと感じています。特に日本のような少子高齢化が進んでいる国では、その傾向は顕著になるでしょう。
私たちのスキー場エリアも気候変動の影響で都市部の住環境が厳しくなる中、超長期的に見れば価値が高まっていくのではないかと考えています。
インバウンド事業と多様性が生み出す国際的なリゾートの未来像。
当社では2013年頃より、本格的にインバウンド営業に取り組み始めました。それ以降、アジア、オセアニア、北米、そしてASEANなど世界中からお客さまをお迎えし、10年以上にわたって海外営業を続けてきました。
当初は日本人マーケットの縮小という課題がありましたが、海外のお客さまにとって日本のパウダースノーは非常に魅力的で、多くの方に喜んでいただけることがわかりました。
特にアジア圏のお客さまは雪に触れる体験自体が新鮮で、スキー以外にも雪遊びや温泉、日本の文化体験などさまざまなニーズがあることを発見したのです。
現在はインドネシアや台湾出身の方が正社員として働いており、高度人材として採用した海外出身の社員が、まさに母国や東南アジア諸国への営業活動を担当してくれています。
彼らの存在により、現地の文化や習慣を理解した上でのサービス提供が可能になり、お客さま満足度の向上にもつながっています。こうして言語の壁を越えて、真心のこもったおもてなしができることが私たちの強みです。
私はこの会社を長野という地方都市からインターナショナルで付加価値の高いリゾートを提供し、日本の「田舎」で外貨を稼ぐことを実現できる企業へと導きたいと考えています。
この目標達成の鍵こそが、私たちが持つ多様性です。多様な視点と能力は、変化し続ける市場のニーズに柔軟に対応し、常に新しい価値を生み出す源泉となるからです。
持続可能な地域づくりへ。共に未来を創る仲間を求めています。

私が目指しているのは、30年、40年先に今より良い形で事業が引き継がれていくことです。
40年前にこのリゾートを開発してくれた地元の方々や、かつてスキー場を開発された会社に感謝しているように、今私たちが頑張れば、30年後、40年後にもきっと同じように感謝してもらえるようになるでしょう。
私は現在の自分を60点ぐらいと評価していますが、10年前に思い描いていた目標へ着実に近づいています。
ゴンドラやロープウェイを活用し、竜王や白馬はグリーンシーズンも大変盛り上がっていますが、他のスキー場でも美しい景観や川などの自然資源を活用することで、まったく別の価値を生み出せる可能性が高いと考えています。
また、冬においても、スキーをしない方々にもごく当たり前にスキーリゾートに来てもらえる世界を創ることができれば、人口減少の中でもマーケットは広がります。
私たちは現在、次世代の経営者育成にも力を入れており、海外の方も含めて、年齢、性別に関わらずさまざまな方にジョインしてもらいたいと考えています。
私たちと一緒に、日本の田舎から新しい価値を創造していきませんか。スキー場という枠を超えて、四季を通じて楽しめるリゾートづくり、地域活性化、インバウンド事業など、多岐にわたる挑戦が待っています。
長期的な視野を持ち、自然豊かな環境で働きながら社会に貢献したいという志を持った方のご応募をお待ちしています。