転職成功者インタビュー

株式会社イマージ
久村周一さん(ブランド戦略担当) 39歳

自然に寄り添った暮らしを求めて長野移住を選択。理念に共感し、地元に根付いたユニークな会社へ。

東京生まれ東京育ちの久村さんは、当たり前のように東京で就職し、結婚をして家庭を持って暮らしてきたが、東日本大震災を機にそこでの暮らしに疑問を持つように。自然豊かな場所で家族と一緒に暮らしたいと思うようになり、移住先を探し始めた。

長野を移住先に決めて転職活動を始めたものの、なかなか思うような企業に巡り会えない。ライフスタイルにも仕事に対する姿勢にも自分なりの信念を持つ久村さんが、どのようにして納得のいく転職にたどり着いたのかを紹介する。

(※本記事の内容は、2017年2月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
2回
活動期間
エントリーから内定まで51日間

転職前

業種
小売り
職種
設計監理・VMD(ビジュアルマーチャンダイザー)
業務内容
外資系化粧品会社の日本法人にて自社店舗の内装・デザインのディレクション業務及び販促ツールのグラフィックデザインを担当

転職後

業種
主として商業施設の内装設計を行っている建築設計事務所
職種
クライアントのブランディング戦略の企画提案
業務内容
ブランド戦略室にてクライアントが抱える悩みを聞き出し、コンセプトを構築したうえで課題解決していく業務

自然に寄り添った暮らしがしたい。東日本大震災を機に移住計画、それが現実に。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

主に店舗の設計・施工を手掛ける株式会社イマージで、「ブランド戦略室」に所属しています。

ブランド戦略室のミッションは、店舗の設計に入る前にオーナーの店づくりへの思いや、どんなお客さまに来てほしいのかという思いを汲み取り、そこに市場分析を加えてお店のコンセプトをオーナーと共に作り上げることです。

それを企画書に落とし込み、チーム全体で共有した上で設計や施工のチームにバトンタッチしていきます。その後もオーナーとの窓口となってプロジェクトの進行を管理していく、プロジェクトマネージャーの役割も兼ねています。

入社前のご経歴を教えてください。

大学では環境問題に関心を持ち、農学部の林学科に進みました。ですが、卒業して普通に企業へ就職する気にならず渡米しました。籍はカリフォルニアの大学院において都市計画を学びながら、すぐに労働ビザを取得して市役所の都市計画課で働いていました。

丸3年をアメリカで過ごして帰国。東京のインテリアデザイン事務所に就職しました。そこではデザインのプレゼンテーション資料を作ったり、展覧会の企画・運営などの仕事をしていて、現在の仕事に活かされる下地となっていました。貴重な経験をしましたしやりがいも感じていましたが、インテリアデザインの会社はやはりデザイナーが主役。自分は会社の中のメインストリームにはいないという思いがあり、思い切って業界を変えようと3年で転職しました。

小売業界や不動産開発の業界を検討していた時に、イギリスのオーガニック化粧品やアロマ・ハーブなどを扱うブランドの日本輸入総代理店がスタッフを募集しており、採用してもらいました。この会社は直営の販売店を持っていたので、店舗設計の監理業務や販促物制作の仕事があり、私の経験やスキルを活かすことができました。

9年半ほど働きましたが、仕事はとても楽しかったですし、自分の価値観やライフスタイルを変えるほど良い影響をたくさん受けました。移住の話がなければもっと勤めていたと思います。

今回の転職のきっかけは?

仕事がどうのこうのではなく、「移住して東京を離れるから」という単純な理由です。震災があり、妻とは「東京は子育てもそうだし、自分達がこの先暮らしていくのに良い環境ではないね」と話をしていました。それまでは東京を離れようとまで考えたことはなかったですが、震災の時に、東京はインフラや物流がストップするとまったく身動きがとれなくなることを痛感しました。

それで、たとえ多少不便でも自然豊かな所で半分手作りの暮らしをしようと思ったのです。例えば、自分たちで野菜を育てたり、薪ストーブのある家で、自分で薪を切ってきたり。もともと農学部でしたし、前職の化粧品会社も「植物の力で体調を整える」という考え方をするブランドだったので、自然豊かなところで暮らしたいと思うようになったのも自然な流れだったのかも知れません。

それから移住を実現させる第一歩として、旅行も兼ねて日本中で移住先を探し始め、約2年かけて検討し、最終的に母の故郷でもある長野県に移住しようと決めました。

子供の頃よく里帰りで長野に行っていたので、他の県と違って馴染みがありましたし、妻も自然の豊かさや美しい風景を気に入ってくれました。また、東京には両親や兄弟、友人もたくさんいますので、行き来しやすい距離感も決め手の一つになりました。ここ茅野市からだと、2時間ちょっとで実家の練馬区に行けてしまいます。

転職活動はどのように進めましたか?

上の子どもが小学校に入る2016年の春を移住時期のリミットに設定していたのですが、2015年の夏になっても肝心の転職先が見つからず、焦り始めていました。転職サイトやハローワークで求人を探しましたが、求人はあるものの、待遇と仕事内容の両面で希望に合致するものが見つからない状況でした。

そんな折、2015年10月に長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」で、長野県専門で転職支援サービスを提供している「リージョナルキャリア長野」が主催するU・Iターン転職に関する面談会があると知り、藁にもすがる思いで申し込みました。面談会では担当の方にメーカー希望と伝えたのですが、「メーカーではないですが、久村さんの経歴ならばぜひ紹介したい会社があります」と提示していただいたのがイマージの求人だったのです。

規模の大きな転職支援サービスは条件面のマッチングだけで終わってしまいがちですが、リージョナルキャリア長野は求人企業の社風や経営者の人柄まで、よく下調べされてる印象でした。

自分が最初に受けたマッチング面談も、希望条件だけではなく仕事に対する姿勢や物事の考え方など、より人間的に踏み込んで知ろうとしてくれたという良い印象がありました。私を担当してくれた太田さんとの相性も良く、人間的にお付き合いできたという感じでしたし、本当に「お陰さまで」という感じです。転職が終わった今でも連絡取り合っているほどです。

今の会社に決めた理由は?

決め手は、地場に根付いて地元の活性化に貢献している面白い会社だと分かったからです。でも実を言うと、最初は前々職と似た業種だと思っていた今の会社に転職することに、あまり乗り気ではありませんでした。設計会社で設計以外の仕事に就くと、また前と同じ道を辿ってしまうのではないか、と。

ただ、面接に行って事業内容を聞くと、普通の設計事務所ではないことが分かりました。請負の店舗設計・施工をするだけでなく、自社でも飲食店や物販店、フィットネスジムやヨガスタジオなどを経営しているのが面白いと思いましたね。それも、会社の理念である「元気なまち」を実現するためとのこと。

要するに、よその店であれ自社の店であれ、店を一つ出してそれが繁盛すれば、まちの活性化に繋がるということです。都市計画にも興味がありましたし、直営店もいくつもやっている会社なら自分の経験やスキルをきちんと活かせるのでは、という期待感もありました。

実際仕事を始めて分かったのですが、仕事をいただくお客さまのお店が、自分の生活圏内のあちこちにあるんです。美容室や飲食店、食料品店など。東京では自営業でない限り職と住が離れるのは当たり前ですし、自分の仕事が何に寄与しているのか実感しづらくて。

でも、今は家から職場まで車で15分。茅野市に住んで茅野市で働いていますので、ここでの仕事は目に見える形で自分の住んでいる町を良くしていきます。こうしたローカリティを大切にして地場に根付いた会社の姿勢にも惹かれるものがありました。

大切にしたのは、やりがいを持って、気持ちを入れて仕事ができる会社かどうか。

転職してからの9カ月を振り返って。

入社直後は、設計業務のサポートや印刷物のデザインなど幅広く仕事に対応していましたが、最近はブランド戦略室のコンセプトづくりに携わる機会が増えてきました。同時に、自分で提案した新規事業の責任者をすることになり、平行してその準備を進めているところです。

入社したての新参者の意見なんて、なかなか取り入れてもらえないのが普通だと思っていましたが、当社では新規事業の提案にも正面から取り合ってもらい、社長の懐の大きさに感謝していますし、自分自身やりがいを感じます。

また、社長が所有している畑を社員みんなで使って農作物をつくる自社ファームプロジェクトも立ち上げ、今春からスタートしますし、まだまだやりたいことがどんどん出てきます。もっと大きく広がる可能性があって、そこに積極的に関わらせてもらえる。入社して本当に良かったと思います。

生活環境の変化は期待どおりですか?

運も良かったと思うのですが、期待以上に快適な暮らしができています。ネットで見つけた戸建てを借りているのですが、農家の大家さんが隣に住んでいて、家のすぐ裏に大きな畑を持っています。

「全部やり切れないから、好きなところ使っていいよ」と言ってもらったので、畑の隅に野菜を植えたのですが、土がいいので素人の自分達がやってもみんなすくすく育つ(笑)。トマト、ジャガイモ、かぼちゃ、スイカ、大豆など、いろいろ採れました。ラベンダーやレモンバーム、ミント、バジルなどハーブも本当によく育ちます。

イメージしていた暮らしの一部がこんなに早く実現するなんて想像していませんでした。子どもたちも庭や畑で自由に遊びまわることができて、とても喜んでいます。この勢いで早く薪ストーブのある家を建てたいですね。

通勤も東京では電車を乗り継いで1時間くらいだったのですが、今は車で15分。非常に楽になりました。車移動ばかりになったので運動不足が唯一の悩みかも知れません(笑)。

転職活動中に不安だったことはありますか?

移住の特集記事は、大抵首都圏から田舎に行ってパン屋を開きましたとか、心機一転農業を始めました、といった特殊例ばかりだったので、私のように普通の勤め人が企業に就職して田舎暮らしを始めるという希望が本当に叶うのか?という不安はずっとつきまとっていました。

そして、企業の求人も数はそこそこ出ているのは分かったのですが、私にとって大切だった「自分がやりがいを持って、気持ちを入れて仕事に取り組める会社かどうか」を考えた時、そんな求人にはなかなか出会えなかった。そういう意味では、地域に密着して特殊な求人を抱えているリージョナルキャリア長野の存在は大きかったです。

今、困っていることや課題はありますか?

運動不足以外では、新規事業がうまくいくかどうかが最大の課題です。職務上、詳しいことは書けませんが、会社としても未知の領域ですし、自分がかつて経験したことがない接客業になりますので。

でも、自分の意思で踏み出した一歩ですし、やるからには先頭に立って責任を持ってやるつもりでいます。前職の社長に「迷った時は困難な道を選んだ方がいい」と言われたことが今でも頭に残っていて、今まさにそれを実践しているところです。それが自分をより成長させると信じています。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

私が仕事を探す場合、条件面が希望に近いかどうかはもちろん気にしますが、一番大切にしているのは「企業や経営者の理念に共感できるかどうか」です。

自分がどんな働き方をしたいか、何に重きを置いて仕事したいかをきちんと考えて、ある程度答えを見つけてから求人情報に目を通すと、いい仕事に巡り会える確立が飛躍的に高まると思います。

そして、そういう求人の面接では自分の言葉で受け答えができます。そうすると、自分という人間をきちんと表現できるし、相手にも正確な情報が伝わります。

採用する側もされる側も本音で言葉を交わし合うと、お互い「ここで働きたい」とか「この人なら採用したい」という判断がより正確になりますし、たとえ否定的な結論に至っても、それが本音で話し合った結果なら納得がいくと思います。その方が双方にとって幸せですからね。

自然体の自分で面接に臨めるように、「どう生きたいか」を突き詰めておくといいのではないでしょうか。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
太田 穂積

久村さんと初めてお会いしたのは東京の銀座NAGANOで弊社が開催していた個別面談会でした。当時勤めていらっしゃった会社では意欲的に働かれていたのですが、すでに長野県への移住の決意は固く、地場のエージェントとして精一杯お手伝いできればと思いました。

移住の直接のきっかけは東日本大震災だったのですが、元々地方創生に対する関心が強く、何か地方に対してインパクトのある仕事ができないかと思案されていた中、紹介させていただいたのがイマージ社でした。

地元の活性化を商業施設の改装を通して真剣に取り組んでいる同社であれば、ご本人としても手触り感のある仕事ができるだろうと思い、自信をもっておすすめしたことを覚えています。

入社後のご活躍も目覚ましく、会社の中核を担う人材として期待も大きいとお聞きしています。今後のさらなるご活躍が楽しみです。

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